先週ロンドンに戻り、約1年間の旅を終えた。旅をしている中で高揚感を得ることが何度かあったのだが、このような感覚は誰もが味わったことあるのではないだろうか。 自分たちが味わっているのは「旅をしている時の高揚感から生じる感動」という 表現が適切かもしれない。感動とは一括りにはできない。感動は数種類に分類されており、この場合は驚きに伴った感動で、そのなかでも感覚的な驚きによるものだと推測する。といっても「感覚的な驚きとは?」となるであろう。例えば、異国の文化や景色、自然美などとの遭遇によってそれは喚起される。どうやら、素晴らしいと思えるものや自分自身にとって極めて稀な出来事なとと遭遇することで、驚きに伴い感動が生じるようだ。 話がそれるかもしれないが、絵画を見て感動したことがあるだろうか。現在の心理学の感情研究では、前述のような感動と絵画を見た時に生じる感動は同分類ということ。自分は初め、これらが同分類であることに疑問を抱いていた。それはルーヴル美術館でモナ・リザを初めて見た時のことなんだが、正直「小さっ。これが、モナ・リザか」くらいにしか思えなかった。初めて見た現物だったから多少は感動していたかもしれないが、それは森でカブトムシを発見したときの感覚と似たようなものだったであろう。が、モナ・リザについての知識を有してから改めて見に行くと、初めて見た時よりも間違いなく感動した。このことから、感動は音楽や文化といった芸術関連との関わりにおいて頻繁に生起しやすいが、これらは知識の有無で感動喚起に変化があると推測できる。それを踏まえた上で「旅をしている時の高揚感から生じる感動」と「絵画など芸術関連から生じる感動」は同分類なのだろうか。という疑問が生まれたわけである。双方とも脳科学でいう「クオリア」が深く関わっているよう。茂木健一郎氏の研究によれば、クオリアとは人間の感覚の中にあふれている様々な質感のことだそう。クオリアについては多くの学者が一筋縄で行く問題ではないと認めており、自分などでは理解し難いので、「旅をしている時の高揚感から生じる感動」と「絵画など芸術関連から生じる感動」は何故、感動を分類した時に同類にあたるかだけ説明すると双方共、ある対象の持つクオリアを純粋に受けとめた時に驚きに伴った感動を生じるからである。形状や色彩、音色、香りなど様々な感覚的な...